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代表写真

初めまして
Shimba鍼灸接骨院院長庄村です。

私の生い立ち

幼少期

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八事にある水野医院で庄村家次男として産まれる。
家族構成は父・母・兄・自分でした。祖母もいましたが物心ついた頃には、塩釡口にある八事病院という病院に認知症で入所していました。

4歳から保育園に入り、常に写真などはふざけた顔をして撮影をしていた。

年長になりお泊まり保育の時にお化け屋敷の行事があり、かなりのビビリ屋さんだったためお化け屋敷の中を先生に抱っこされたまま顔を一度もあげず終了するというやんちゃだけどすごくビビリな幼少期でした。

小学生 低学年

体が小さくクラスでいじめられていた時期があり、
何人かに囲まれ殴られ蹴られしていました。
心配した両親がこの頃からスイミングスクールに通い出し始めさせました。すると体が成長し始め、いじめてた子達を気にくわないとひたすらやり返していた。だんだんと調子に乗ることが増えて行き、授業も聞かず本棚の上で寝ている問題児になっていました。

小学生 高学年

幼なじみからサッカーやらない??と誘われ、この頃からサッカーにはまり始めました。どんどんサッカーの楽しさに気づき勉強もせず公園でひたすら友達とボールを蹴っていましたが、6年生になると突然親から「中学受験」の話が舞い込みまさかの毎日塾に通学するように。

部活にも行けずたまに行けば試合に出せてもらえるはずもなく、ずっと外から眺めていました。そして、そんな悔しい日々を過ごしながらいざ中学受験本番、結果は見事合格。
しかし、合格した私立中学にはサッカー部はなく、
その頃ちょうど来年から地元の中学校にサッカー部ができると言う話を聞き親に頼み込み、私立中学を辞退。

中学時代

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もちろんサッカー部に入部しました。
入学してから初めて知らされたのが中学始まって以来のサッカー部らしくゴールもなければ伝統もなくまさかの第1期生でした。しかし、自分が入学する一年前に赴任された先生がサッカー部の監督が、まさかの愛知県選抜の監督という素晴らしい先生でした。

学校生活では受験の反動からかまったく勉強せず、成績はどんどん急降下。
それとは逆にサッカーに関してはぐんぐんと成長していきました。
しかし、2年生になった頃、人生初めての腰痛に襲われました。
走ることすらできない激痛でした。ここから接骨院に通うようになりました。
順調にレギュラーを取り頑張ってきていたのに全く動けなくて悔しい毎日でした。いつもならピッチに立っているのに外から眺める劣等感を初めて感じました。腰痛とは接骨院の治療で上手く付き合いながら中学では愛知県ベスト8まで成績を残せました。

高校生時代

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高校は寮のあるサッカー有名校にスポーツ推薦で進学しました。
初めての寮生活で親のありがたみをほんの少しだけ感じ始めました。
こうこう3年間はいろんな怪我に泣かされました。持病の腰痛から、鎖骨骨折まで色々な怪我を繰り返しました。残念ながら最後の大会には出場する機会はありませんでした。
大学からもスポーツ推薦のお誘いはあったが、サッカーでの限界を感じていたところで、大学進学をするよりも両親から「競輪選手」を目指したら?と提案され一時は競輪選手を目指していました。だたし、本当になりたいかと言われればそうではない自分自身に不安がたくさんありました。

転機

そんなある日に転機が訪れます。
怪我をして訪れた接骨院の先生がたまたま母校のトレーナーでした。
その先生が「お前将来どうするの??怪我ばかりしてたお前なら患者さんの気持ちわかるんじゃない??この業界も視野に入れてみろよ」という言葉がありすぐに親に相談し接骨院の先生になることを決めました。

専門学校時代

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入学と同時に某接骨院で修行がはじまる。
最初は電気つけや雑務を行うなどの本当の下積みが始まりました。この頃は人見知りが激しく患者さんに目つきが悪い、暗いなどのクレームをもらったことがありました。そうこうしてるうちに治療に入らせてもらえることになりたくさんの患者さんに携われることになりました。
どんどん症例を見れるようになった。
しかし、残念なことに専門三年生のある日、院長から「給料が払えないからやめてくれ」と経営難によりリストラに遭ってしまいました。幸いなことにすぐに他院からも誘ってもらい開院してからまだ3ヶ月ほどしか経っていない新しい院で6年間働きました。

転機

それらの経験を生かしたいと思い開業を決意しました。
実は僕は元々開業していきたい!!!ではなく、ずっと勤めていたい!二番手でみんなの間に入りクッションの役割をしていきたいと思っていました。

でも「沢山の患者さんをもっと良くしていく」ためには開業が一番近いなと思いました。開業後には施術の大事さ、保険の適応範囲だけでは治せない、限界がある。ということを強く感じました!!
そこで僕はしっかり施術を行える自費での施術を行うことにしました。
僕が施術をして助けたい人は「色んな病院や接骨院に行ったけど納得のいった結果が出な い方」と「何年もの腰の痛み、肩こり悩んでいてどうしたら良いかわからないと何も行動 できないままで半分あきらめている方」です。
保険を使わないため開業してから「沢山の人」を施術することは中々できなくなりました が、本当に困り果てて、施術後に涙を流されるほど喜ばれる方をしっかり施術していけるようになりました。

もしもあなたが本当に悩んでいるのであれば、僕もあなたと同じで体の症状に「寝れないくらい」悩んだ人間です。そして、そんな方をなんとかしたいと心から思っています。
施術には価格以上の価値がある自信が有ります。何かあれば相談してくださいね。

美容鍼灸士 青山 果歩

私の生い立ち

幼少期

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常滑市の病院で青山家の長女として生まれました。
父・母・兄・弟の5人家族で3歳から保育園に入り、初めの頃は毎朝送ってもらった母の姿がいなくなると泣いていたそうです。

小学生

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4年生から友人に誘われバスケットボールを始めました。はじめて出た試合でゴールを決めれたことが嬉しくてそこからバスケットボールが楽しくてどんどん上手くなりたいと思いはじめ高校3年生まで続けるきっかけになりました。
6年生ごろから膝が痛いなとも思いながらバスケをし、中学生では迷うことなくバスケットボール部に入部した。

中学生

膝の痛みもありサポーターを巻いて練習をしていました。そんな時、バスケットの練習で膝だけでなく足首を捻挫してしまいました。
試合に出るのが好きでしたが練習もできないので当然試合にも出れず悔しい思いをしました。この捻挫がきっかけで後々同じ足を何度も軽い捻挫を繰り返すようになりました。

高校生

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地元の高校に進学し、バスケは続けようか他のスポーツにもチャレンジしようか悩んでいたところ偶然、小学生の頃に同じクラブチームでバスケットをしていた友人にバスケ部に入ろうと誘われ高校生でもバスケットを続けることにしました。

高校生でも捻挫や膝の痛み、鼻の骨ににヒビが入ったりと怪我を繰り返してしまい、思い通りに身体が動かず悔しい思いをすることがたくさんありました。高校生での部活を引退してから進路に対して真剣に考えるようになりました。
そこから私は怪我をしてから私のように怪我で思いっきりプレーができない子を助けてあげれるといいなと思いこの業界を目指すことを決めました。

専門学校

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鍼灸マッサージ師になるための学校に合格し、
3年間往復で3時間ほどかかる学校に通うことになりました。体の構造や鍼灸について細かく勉強できました!

それから

学生までは美容というものに興味がなかったのですが学生時代に友人に誘われエステに1度行ってみることにしました。施術を受けてみて自分だけの特別な贅沢な時間に感じられたのとお肌の調子も良くなり自分自身がすごく笑顔になれたことを感じてから美容に興味を持つようになりました。

それから美容鍼灸をやり始めました。その中でお顔のたるみやお顔の歪みには小顔矯正が必要だなと感じました。そのため施術で美容鍼灸と小顔矯正を併用していくように行っています。

お顔だけでなく全身から「いつまでもキレイでいたい」という方のサポートをさせていただきたいと思っています。こんな私ですがよろしくお願いします。